第12節 内存在そのものに定位することにもとづいて描かれた世界内存在の下図
「現存在は、おのれの存在において了解しつつこの存在へと態度をとっている存在者なのである。
「実存しつつある現存在には、本来性と非本来性との可能性の条件として、そのつど私のものであるという性格が属している。」
「世界内存在という合成語は、この合成語が造りだされたことからしても、この合成語でもって一つの統一的現象が指さされているということを、すでに暗示している。」
1『世界の内で』
2そのつど世界内存在という仕方において存在している存在者。
3『内存在』そのもの
「これら三つの機構契機のうち特定の一つを引き立てることはいずれも、他の二つをいっしょに引き立てるということを意味する」
「実存範疇としての世界の『もとでの存在』は、出来する諸事物がいっしょに事物的に存在しているといったようなことを、決して意味するわけではない。」
「二つの存在者が世界の内部で事物的に存在していて、そのうえそれら自体自身では無世界的に存在しているかぎり、それら二つの存在はたがいに決して『接する』ことはできず」
「差しあたって肝要なのは、実存範疇としての内存在と、範疇としての事物的存在者相互の『内存性』とのあいだの存在論的区別を見てとることだけである。」
「内存在のこれらもろもろの在り方は、配慮的な気遣いという、さらに立ち入って性格づけられるべき存在様式を持っている。」
「われわれの根本的探究においては、『配慮的な気遣い』という表現は、存在論的術語[実存範疇]として、なんらかの可能的な世界内存在を表示するのに用いられるのである。」
「現存在には本質上世界内存在が属しているゆえ、世界へとかかわる現存在の存在は本質上配慮的な気遣いなのである。」 「現存在は、『差しあたっては』いわば内存在を免れた存在者であって、世界とのなんらかの『関係』を結ぼうという気まぐれをときにはおこすような存在者では、けっしてない。」